ケルベロス第五の首

Last Updated:

09/03/2005




"The Fifth Head of Cerberus" - 「ケルベロス第五の首」

The Fifth Head of Cerberusケルベロス第五の首"The Fifth Head of Cerberus" は、1972年に出版されたウルフの二番目の作品で、三篇の関連する中篇からなる作品集です。表題作である "The Fifth Head of Cerberus" は同年にデーモン・ナイトによるオリジナル・アンソロジー "Orbit 10" に発表されました。この作品集はウルフの最初期の作品ながら、技巧の限りを尽くした、いかにもウルフらしい傑作です。

邦訳は柳下毅一郎氏の訳で、2004年に国書刊行会より『未来の文学』シリーズの第1期第1巻として出版されています。これはウルフ作品の単行本としては1988年の「拷問者の影」以来、実に16年ぶりのものであり、画期的なものでした。

物語の舞台は、サント・アンヌ(Sainte Anne)とサント・クロワ(Sainte Croix)という双子惑星からなる世界です。この星系には物語の時代から数百年前にフランス系の人々が入植しました。その後やってきたイギリス系の植民者との間に戦争が起き、フランス系の人々は敗れて星系の支配権を失いましたが、それでも両惑星の地名や文化にはフランス植民時代の名残があります。

サント・アンヌ、サント・クロワという名前とは裏腹に、この二つの惑星は道徳的に悲惨な状態にあります(サント・アンヌはキリスト教の聖母マリアの母親の名前、サント・クロワは聖十字架を意味します)。より経済の発達したサント・クロワには奴隷制と抑圧的な政府が存在し、親は経済的な理由から子供を奴隷として売り払うことを厭いません。一方、サント・アンヌには「アボ」と蔑称されるヒューマノイド型の原住民がかつて生息していたと言われますが、フランス植民時代に絶滅させられたとされています。「アボ」たちは人間そっくりの姿をしており、自らの姿かたちを変える能力を持っていたと言われています。奇妙なことに「アボ」の残した遺物はほとんど残っておらず、彼らがどのような生物であったのかは伝説としてしか知られていません。一方「アボ」は今でもサント・アンヌの未開の奥地に生息していると信じる者もいます。

The Fifth Head of Cerberus

物語の舞台は、奴隷の交易で栄え、双子惑星の中でも最悪の町と言われる、サント・クロワのポール・ミミゾンの町です。主人公の少年は、父、弟、叔母、家庭教師とともに暮らしており、主人公の家は「犬の家」と呼ばれる娼館です(娼館の入り口に「三つ」の首を持つ地獄の犬ケルベロスの像があるためにこう呼ばれます)。娼館を経営すると同時に科学者でもある父親は、いつも謎めいた行動をとっており、また主人公は同じ家に暮らすはずの叔母とはほとんど顔を合わせたこともありません。そのため主人公の少年にとって、日常的に接する相手は弟のデビッドと家庭教師のミスター・ミリオンだけです。

七歳になったある日、主人公は夜中に父親に呼ばれます。父親は主人公の少年にあたかも精神分析の治療でもあるかのようにさまざまな質問をし、主人公のことを「ナンバー・ファイブ」という名前で呼びます(なお少年の本当の名前は明らかにされませんが、どうやら Gene あるいは Jean Wolfe であるようです)。成長するとともにナンバー・ファイブは家の外の世界とも関わりを持つようになります。ナンバー・ファイブとデビッドとはフィードリアという美しい少女と知り合い、一緒に演劇の公演をおこなうようになります。その一方で父親による夜の質問はしだいに奇怪なものになっていき、ナンバー・ファイブは薬品を摂取させられ、長時間記憶を失うようになっていきます。

ある時叔母と話していた主人公は、「ヴェイルの仮説」の話をします。それはヴェイルという人類学者の提唱した仮説で、「アボ」は実は絶滅しておらず、地球からの植民者たちを皆殺しにして植民者たちになりかわり、地球人として今も暮らしている、というものです。そんなある日「犬の家」に地球からサント・アンヌを経由してやってきたという、マーシュという若い人類学者が訪ねてきます。

"A Story," by John V. Marsch

二番目の中篇は「アボ」の神話、伝説の再構成というような形になっています。サント・アンヌの高地に住む「自由の民」の女「揺れるスギの枝」は双子の赤子を産みます。最初に産まれたのは「東の風(ジョン・イーストウィンド)」、二番目に産まれたのは「砂歩き(ジョン・サンドウォーカー)」(男の子の名前には必ず「ジョン」がつきます)ですが、「砂歩き」は祖母が河で水浴びをさせている時に「沼地の民」にさらわれてしまいます。

やがて成長した「砂歩き」は、一人前の男となるため、洞窟に住む賢者のもとを訪れます。その途中「砂歩き」は、赤ん坊のころに生き別れになった「春の風」が「沼地の民」の一員として成長している夢の啓示を受けます。また「夜の子供たち」という別の一族とも出会い、その友人となります。やがて「砂歩き」は自分の一族が「沼地の民」に捕えられていることを知り、彼らのもとに向かい、「沼地の民」とともにいる「春の風」と再会します。

V.R.T.

最後の中篇では、第一部で「犬の家」を訪れたマーシュは身に覚えのない殺人罪で逮捕され、サント・クロワの獄中にいます。どうやらマーシュは、人類学者とは偽りの姿で、実はサント・アンヌからのスパイだとの嫌疑をかけられているようです。物語は、マーシュを取り調べる役人が、彼が「アボ」の痕跡を求めてサント・アンヌの奥地を旅した際の手記、逮捕後の尋問記録、それにマーシュが獄中で書いた日記などの証拠物件を検証するかたちをとっており、それらの断片と役人の描写が交互に描かれます。

手記によると、地球から人類学者としてサント・アンヌにやってきたマーシュは「アボ」の謎を解く鍵を求めて、トレンチャードという名のアル中の物乞いに出会います。トレンチャードは実は自分は「アボ」の生き残りなのだと称し、マーシュを「アボ」がかつて生息していた地方に案内します。その後マーシュはトレンチャードの息子の "V.R.T." という少年とともに「アボ」を求めてさらに奥地に旅することになります。少年はかつて母親とともに奥地に長いこと暮らしていたのだといい、自身「アボ」の習俗に通じているようです。少年との探検旅行は順調に進みますが、マーシュはしだいに、自分が眠っている間に少年のもとを誰かが訪れているのではないかという疑念を持つようになります。

この "The Fifth Head of Cerberus" という作品は幾重にも伏線を張り巡らせた緊密なプロットが特色なので、これ以上詳しく紹介するとどうしてもネタバレになってしまいますが、「新しい太陽の書」や後続作品にあらわれるさまざまなテーマが、作品そのものが短いこともありかなりストレートに登場します。

例えば双子、クローン、変身能力を持つ異星人などのバリエーションで三部作に一貫して用いられている「自己」に関する主題は、セヴェリアンの中のセクラや、セヴェリアンとセヴェラ、アギアとアギルスなどの関係と共鳴します。また物語の舞台となる緑色の惑星サント・アンヌと青色の惑星サント・クロワは、"Short Sun" シリーズの舞台である「グリーン」と「ブルー」を思わせます(もっともウルフはサント・アンヌとサント・クロワが「文字通り」グリーンとブルーであるという説は否定しているようです)。

またナンバー・ファイブの父親による自分の子供に対する実験はバルダンダーズの実験を思い出させますし、アスキア人やアルザボ、アクアストルを思わせる登場人物も存在します。物語の主要な舞台が監獄と娼館であるというのも共通点としてあげられるでしょう。

さらには主人公の一人称で語られる物語でありながら、そこで主人公によって語られる物語は実際に起きたであろう出来事とはおそらく異なっており、そのことが徐々に明らかになってくる展開は、枠物語を利用した複雑な構成ともあいまって、「新しい太陽の書」の魅力を既に先取りしているといえます。

ところでミステリ作家の殊能将之氏はこの作品の熱心な読者のようで、氏の小説「鏡の中は日曜日」は "The Fifth Head of Cerberus"もとネタにしているそうです。また殊能氏は "The Fifth Head of Cerberus" に関して当サイトよりももう少し詳細な紹介をなさっていますが、ネタバレがもう少し多めなのでご注意を。ネタバレでもなんでもいいから詳細な解説が読みたいというのなら、ウルフのメーリング・リストの常連の Robert Borski 氏の Cave Canem というサイトをご覧ください。

あと当サイト内でも枝葉末節メモ(ただし途中まで)がありますので、よろしければご参考に。

M: メニュー I: インデックス

管理人連絡先 webmaster@ultan.net