アメリカの七夜

Last Updated:

09/04/2005




アメリカの七夜

「アメリカの七夜」"Seven American Nights" は、1978年、デーモン・ナイト編のアンソロジー "Orbit 20" に発表された初期の代表的な中篇です。現在は短編集 "The Island of Doctor Death and Other Stories and Other Stories" に収録されています。また浅倉久志訳でSFマガジン2004年10月号のジーン・ウルフ特集に掲載された他、近日中に国書刊行会より刊行予定のの初期短編集「デス博士の島その他の物語」にも収録されるようです。

物語は近未来、食品中の化学物質の大量摂取による遺伝子損傷から文明が崩壊したワシントンを、イラン人のナダン・ジャアファルザデーが訪れて記した旅行記=日記という体裁を取っています。ただしこの日記は失踪したナダンの捜索を依頼された探偵(?)がナダンの母親と婚約者のヤースミーンに送ったものであり、実際にナダンが記したものかどうかは必ずしも定かではありません。またナダンが書いたものだとしても、一部の記述についてはナダンによって後から削除されていたり、またナダン自身必ずしも真実を記録しているわけではないと匂わせたりしていて、ウルフ得意の「信頼できない語り手」を用いた典型的な作品となっています。

この手法は「ケルベロス第五の首」や「新しい太陽の書」でも効果的に用いられており、ウルフの一人称小説においては、もはや書かれている内容をそのまま信用することはできないと言えるでしょう。もっともこの作品では、タイトルが「アメリカの七夜」であるにもかかわらず、実際には六日分の記述しかない(おそらくは一日分がナダンによって削除されたのだと想像できますが)とか、日記の内容改変をナダン自身が認めているなど、読み手に対して「信頼できない語り手」手法をはっきり示している分、ある意味親切な作品と考えられます。また一人称話者以外にも、劇中劇の使用により、語られている物語の真実性を括弧に入れて相対化する手法や、一見して明瞭なキリスト教のモチーフを用いながらも、単純に宗教的な隠喩を読み取ろうとすると作者の仕掛けた罠に陥りかねないなど、「ケルベロス第五の首」や「新しい太陽の書」との類似があちこちに見られます。

聖週間

物語はキリスト教最重要の宗教行事である聖週間から復活祭(イースター)にかけての出来事です。ナダンがドラッグを染み込ませる卵菓子とはいわゆるイースター・エッグのことですし、またP.14(SFマガジン2004年10月号、以下同様)のカビの生えたパンとは聖餐のパンを思わせます。P.54でアーディスが「明日の晩は復活祭で劇場もお休みだから」とはっきり言っていますし、P.58の十字架を掲げた行列は、まさに復活祭を祝うものだと思われます。さらにP.11でアメリカが「出血で死にかけている」わけですが、当然これは十字架に架けられて血を流すイエスの姿を連想させます。

ぼくは(中略)もう一度海水が黄色に変わったことを報告した。「わかっている」と船長はいった。「つまり、あの男の国は」(ここで船長は哀れなミスター・トールマンのほうにあごをしゃくって)「出血で死にかけているんだよ」--「アメリカの七夜」P.11

門外漢ながら簡単に解説すると、聖週間(または受難週間)とは、イエスがエルサレムに入場した棕櫚の日曜日(または枝の主日)から、最後の晩餐をおこなった洗足の木曜日、捕らえられて十字架に架けられた聖金曜日を経てその翌日土曜日まで、復活祭はその次の日曜日を指します。いわゆる移動休日なので復活祭の日付は毎年異なりますが、春分の後の最初の満月の次の日曜日が復活祭となります。復活祭自体はイエスの復活、また生命の復活を祝うめでたい祝日ですが、聖週間は禁欲をもってイエスの受難を静かに追想する期間とされています。

(無茶苦茶余談ですが)灰の水曜日に始まる復活祭前40日間のレントの期間中は教会におけるカンタータの上演も差し控えられており、協会暦に沿って各祝日のためのカンタータを残したJ.S.バッハも原則カンタータを作曲していません。もっともヴァイマール宮廷のコンサートマスターに就任した直後の1714年3月25日には、棕櫚の日曜日と受胎告知の休日がたまたま重なっていたために、自らの就任記念もかねて BWV 186 "Himmelskönig, sei willkommen" 「天の王よ、よくぞ来ませり」が上演されています。またレントの間はカンタータの上演がなかったかわりに、聖金曜日における受難曲の作曲や練習を入念におこなうことができたようです。

イスラム教徒であるナダンにとってはこのようなキリスト教特有の宗教儀礼は馴染みがなかったり、違和感を感じたりするものとして描かれています。もっとも復活祭の行列について「ローマではこの種の儀式がもっとうまく行われているようだ」(P.58)とあるように、最低限の知識は有しているようですが。これに対して欧米の読者の場合には、おそらく(「新しい太陽の書」と同様に)あちこちのパラグラフから「死と復活」の主題を読み取りたくなり、またそれはウルフ読者としてはある意味正しい態度なのでしょうが、一方で意地の悪いウルフはそのような読者の「読み」のもう一段上手を行って、(これも「新しい太陽の書」と同じく)もう一つの物語を隠蔽しているのではないかという疑惑も生じます。

失われた一日

七夜から失われた一日について、管理人の読後の第一印象は「P.48 第5日の夕刻とP.50 (ナダンの認識によれば)同じ日の夜の間に卵菓子が一個減っているので、実はこの間に一日が経過しており、卵菓子もナダンが自分で食べたにもかかわらず記憶を無くしているのではないか」でした。URTH MLの過去ログをあさってみたところ、Peter Cash氏など同じ意見はあるようですが、もう一つ興味深い投稿がありました。Jim Jordan氏によるもので、ナダンの日記の第2セクションと第3セクションの間(セクション分けについては、ナダンの日記の時間構造参照)でおそらく一日が失われたというものです。P.13で「その不安はきのうからはじまり、どんどん強まってきた」とあるのに、第1日の部分には不安を感じさせるような記述がないため、第2日に何らかの事件が生じ、第3日まで不安が続いていた(従って「きのう」は第2日を指す)との解釈です。なるほどもっともではありますが、それでは第5日に卵菓子が無くなっていたのはどういうことなのか。ひょっとしたら失われていたのは一日ではなく二日なのでしょうか。なお、このJim Jordan氏とは、ウルフへのインタビューをおこなっているJames B. Jordan氏と同一人物だと思われます。

ゆうべは例のパンを夢に見た。(中略)そこに見えるのは、小テーブルの中央の皿におかれた、柔らかいひとかたまりの白パンだけ――まだパン焼き窯の香りが残っているが(たしかにこの世界で最もおいしそうな香りではある)、いちめんの灰色のカビにおおわれたパン。いったいなぜアメリカ人はそんなものをほしがったのか? とはいえ、歴史家の意見は一致している。アメリカ人がそうしたパンをほしがったのは、自分の死体が永久に生きているように見えるのを望んだのと同じ心理だ、と。--「アメリカの七夜」P.14

もしも失われたのが第2日だとすると、それはおそらく「いちめんの灰色のカビにおおわれたパン」「自分の死体が永久に生きているように見えるのを望んだのと同じ心理」のゆえにアメリカ人がほしがった「けっして干からびないパン」と関連がありそうです。これはアメリカ文明を滅ぼした化学物質の濫用をあらわすと同時に、なにか「イスラム教徒」から見た「キリスト教」への嫌悪感のようなものと関連がありそうな気がします。このパンがいわゆる「聖餐のパン」だとすると、「死と復活」に対する「人肉屍食」のようなものでしょうか。人肉屍食についてはP.34にも触れられているので、第2日かどうかはともかくとして主題的な関連があるのは間違いないでしょう。これはまた「新しい太陽の書」でセヴェリアンがセクラの死体を食べることや、アルザボと繋がります。

同じくJim Jordan説では、アーディスは彼女の「父親」が内陸部から連れ帰ってきた怪物であり、なんらかの手段でナダンに「魔法」をかけて魅了している、おそらくそれはP.19で博物館の老人が語る「コミュニケーションのエッセンス」としての「におい」に関連するのではないか、またセックスの後ではその「魔法」の効力が衰えるために裸体を見られるのを拒絶したのではないかとしています。これだと唐突に語られる「内陸部」「コミュニケーションのエッセンス」のあたりがうまく説明できそうです。そうするとアーディスは「ケルベロス第五の首」のアボ、「新しい太陽の書」のジョレンタと、たぶんヘトールの怪物にも繋がってくるかもしれません。またP.33でナダンを襲った女の怪物はアーディス自身だとの解釈もありえるでしょう。あるいはアーディスが怪物だということを薄々感づいているナダンの無意識がドラッグの影響下に襲撃事件を妄想したのかもしれません。

名前

登場人物の中でもよくわからないのが船旅でナダンと一緒で、後にレストランで再会するゴラン・ガッセームとミスター・トールマンです。Jim Jordan氏はこれについても興味深い解釈を書いています。

  • 解釈その1: 失われた第2日にはゴラン・ガッセームとミスター・トールマンとの関係で何かが起きた。P.33の怪物はこの二人が放ったもの。アーディスと役者たちは二人のために働いており、二人はアーディスがナダンを誘惑する間にナダンの部屋を捜索する。
  • 解釈その2: アーディスとゴラン・ガッセーム、ミスター・トールマンとの関係はアーディスが言ったとおりで、ナダンの部屋を捜索したのはクレトン。

これらの解釈は、まあ当たっているかもしれないけども、さほど説得力はないように思います。ウルフの登場人物の名前には、常に明白な意図があるため、この二人の男の名前になんらかのヒントがあるように思いますが(特にトールマンについてはわざわざ名前に注目するよう明白なヒントがある)、どうもよくわかりません。いずれにしても狙われたのはナダンのスケッチブックでしょう。アーディスとクレトンの共犯関係は、「新しい太陽の書」のアギアとアギルスを思わせます。ゴラン・ガッセームとミスター・トールマンはヘトールでしょうか。名前といえば「クレトン」は芸名なのに、本名の「ボブ・オキーン」が明らかになった後もずっと「クレトン」と呼ばれているのも気にかかります。なお「クレトン」はゴア・ヴィダールの『ある小惑星への訪問』で「片足をひきずっている宇宙人」の役です。そうするとセヴェリアンというのも有りかもしれません。一方役名の「エレン」がある時点から本名の「アーディス」と呼ばれるようになった、にもかかわらず「メアリー・ローズ」とは呼ばれないのにも意味があるかもしれません。メアリー・ローズは幽霊だからでしょうか。

ナダンの日記の時間構造

もう一つJim Jordan説で面白いのが、(冒頭の報告書と最後のナダンの母親とヤースミーンの部分を除いた)日記の本文をセクション分けして番号を振ると、全体が対称関係にあることを明らかにしたことです。なおJim Jordan氏は23個にセクション分けしていますが、以下では多少変更を加えてセクションを21個に分けています。Jim Jordan氏が、P.30上段後ろから3行目「そのおなじ夜」の箇所と、P.46下段4行目「朝」の箇所で、いずれも新しいセクションが始まっているとカウントしているため。一方ORB版の原文ではセクションの始まりは空白行に加えて行頭に "■" 記号があって明白に区切られているため、管理人のカウントでは "■" 記号のあるものだけを新しいセクションとしました。上記二箇所には "■" 記号が存在しないため管理人のカウントではセクションの数が二つ少なくなっています。

  • P.10 ナダンの母への報告書。ナダンがデラウェア湾沿岸地方に向かったことが示唆される。
  • 1/21. P.10 第1日:12日間の船旅の後、アメリカに到着。書いているのはおそらく第1日の夜。
  • 2/20. P.11 第2日:寝坊した後、近くを散歩に行く。書いているのは第2日の夕。
  • 3/19. P.13 第2日:心に不安がはいりこむ。船内でドラッグを盛られたのではないかと考える。
  • 4/18. P.14 第2日:不安が消えたので前の晩の夢のことを考える。
  • 5/17. P.14 第2日:北にある公共建築物を見に行ったときのこと。博物館をのぞく。
  • 6/16. P.17 第2日:夕食の後芝居「ある小惑星への訪問」を見に行って博物館の老人に再会する。
  • 7/15. P.24 第2日:老人を博物館に送っていってドラッグを手に入れる。翌日の晩から卵菓子を食べることにする。
  • 8/14. P.24 第2日:ホテルの支配人に売春婦を世話してもらう。書いているのは第3日の朝。
  • 9/13. P.26 第3日:公園を探検して野犬を殺す。
  • 10/12. P.28 第3日:夕刻、1個目の卵菓子を食べる。
  • 11/11. P.28 第3日:夕食の後「メアリー・ローズ」を見る。
  • 12/10. P.30 第3日:深夜支配人室で電話帳を調べてアーディスの家を探しにいく。女の怪物に襲われて殺す。書いているのは第4日の朝。
  • 13/9. P.34 第4日:昨夜の怪物の死体を捜しにいくが見つからない。
  • 14/8. P.35 第4日:市場でアーディスへのプレゼントを買い、夕食後2個目の卵菓子を食べて「メアリー・ローズ」二回目を見に行く。クレトンに襲われた後、ホテルの部屋で眠ろうとしているとアーディスがやって来る。一緒にアーディスの家に行こうとするが着替えの間に逃げられる。翌朝、アーディスを待つ間に前の晩の不愉快な夢のことを考える。
  • 15/7. P.48 第5日:アーディスと一日中警察でたらい回しにされる。アーディスとのディナーの時間を待つ間に部屋で手記を書いて3個目の卵菓子を食べる。
  • 16/6. P.50 第5日:アーディスとともに「メアリー・ローズ」の三回目に出演する。遅い夕食の後、アーディスの部屋でセックスする。アーディスの家から戻ってみると、3個残っていたはずの卵菓子が2個しかないのに気がつく。
  • 17/5. P.55 第6日:アーディスとピクニックに出かけた後、家まで送っていくが部屋には入れてもらえない。ホテルの部屋で4個目の卵菓子を食べる。
  • 18/4. P.58 第6日:アーディスに誘われたパーティの準備をする間、昼間すれちがった僧侶たちのことを思い出す。
  • 19/3. P.59 第6日:パーティの後部屋でアーディスとセックスする。深夜アーディスの裸身を見るためアルコールに火をつける。
  • 20/2. P.59 第6日:なぜアーディスを愛することができたのか自問しつつ最後の卵菓子を食べる。
  • 21/1. P.60 第6日:クレトンが部屋の前の廊下を歩き回る。
  • P.60 老婦人と若い女が日記を読んでいる。

Jim Jordan氏によると、上記のようにセクション分けして番号を振ることによって次のような対称性が見えてくるとのことです。

  • 日記の前と後にはそれぞれ別のテキスト(ハサン・ケルベライからの報告書と老婦人と若い娘の会話)が置かれている。
  • 前から3番目のセクションでナダンは外の怪物を締め出すため鎧戸を閉めており、後ろから3番目のセクションでは怪物のいる部屋の鎧戸をひらく。
  • 前から4番目のセクションでは「聖餐のパン」が、後ろから4番目のセクションでは復活祭の行列が出てくる。
  • 前から5番目のセクションで乞食が<墓場の町>の秘密をナダンにのぞかせ、後ろから5番目のセクションではアーディスがナダンに秘密をほのめかす。
  • 前から6番目のセクションでナダンは初めて芝居を見、後ろから6番目のセクションでは初めて芝居に出演する。
  • 前から7番目のセクションでナダンは卵菓子にドラッグをしみこませ、後ろから7番目のセクションでは卵菓子を捨てようとする。(これはちょっと弱いか)

ここから先はJim Jordan説と管理人とでセクション分けの番号がずれるので、独自解釈でかつ厳密な対応関係をちょっと崩してみましょう。

  • 前から8番目のセクションでナダンの部屋に売春婦たちが、後ろから8番目のセクションではアーディスがやって来る。
  • 前から9番目のセクションでナダンは野犬に襲われ、後ろから10番目のセクションでは怪物に襲われる。
  • そして物語の中心にあるのは、第10セクションでの最初の卵菓子と、第11セクションでの「メアリー・ローズ」である。
  • ここで最初に戻ると、前から1番目のセクションではアメリカが出血で死にかけており、後ろから1番目のセクションではアーディスが死んでいる。
  • 前から2番目のセクションでアメリカに対する好印象を、後ろから2番目のセクションで悪意を示す。

このような物語の対称構造は、またもや「新しい太陽の書」などの円環構造を連想させます。一見時系列的にストレートに語られていると思われる「アメリカの七夜」においても、本当に時間が前から後ろに進んでいる保証はないのかもしれません。ナダンの日記の文章でも、書いている内容が前の晩だったり、つい直前のことだったりして読者は注意を要しますが、これは作者から読者に対するヒントなのかもしれません。

それぞれの種類の素粒子のうちでただ一個だけが、時間を前後に往復しているからだ。(中略)つまり、人間だれしもが、いわばおなじひと組のパステルで描かれたスケッチ画なのだ--「アメリカの七夜」P.19

ここにも物語の時間的構造に関するヒントがあるようです。はたしてこのような構造は物語技法上のテクニックにすぎないのか、それとも「文字通り」時間の対称構造のようなものがあるのでしょうか。Peter Wrightによる評論 "Attending Daedalus: Gene Wofle, Artifice and the Reader" によると「新しい太陽の書」の物語構造は、神話学者ジョゼフ・キャンベルの古典的著作「千の顔をもつ英雄」の中の英雄の原型的行動とほとんど合致しているとのことです。ナダンの対称構造を持つ物語についても同じことが言えるかもしれません。

また「受難」「対称構造」と言えば、J.S.バッハの代表作「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」にも似たような構造があると言われています。礒山雅著「マタイ受難曲」によると、この仮説を提唱したのはドイツの音楽学者フリードリヒ・スメントで、彼は長大な「ヨハネ」「マタイ」それぞれの中心部に前後対称の楽曲配分を持つ「心臓部」があるとしました。「ヨハネ受難曲」の中心は第22曲のコラール「あなたが捕らわれたからこそ、神の御子よ、わたしたちに自由が臨んだのです」、「マタイ受難曲」の中心は第49曲のソプラノ・アリア「愛の御心から」であり、それぞれに各受難曲の根本理念があらわされているとのことです。ウルフがバッハの受難曲を念頭に置いていたかは不明ですが、このような象徴的な対称構造は宗教音楽のみならず、教会建築などさまざまなキリスト教芸術分野に見られるものなので、ウルフが伝統的な象徴体系を意識的に利用したとしてもおかしくないかもしれません。

M: メニュー I: インデックス

管理人連絡先 webmaster@ultan.net