終末期の赤い地球

Last Updated:

09/15/2002




「終末期の赤い地球」

ジーン・ウルフが「新しい太陽の書」シリーズを執筆するあたって(あるいは作家になるにあたって)大きな影響を受けた作品がジャック・ヴァンスの「終末期の赤い地球」(日夏響訳、1975年久保書店刊、Jack Vance, "The Dying Earth", 1950)です。ウルフ自身、「カワウソの城」の中のエッセイでこの作品が自分にとっての<黄金の書>であったとしています。

終末期の赤い地球   The Dying Earth   Tales of the Dying Earth

時に私は「終末期の赤い地球」と題するぼろぼろのペーパーバックの上に掌をかざすのだった。すると表紙の厚紙から、ミール城のトゥーリャン、無宿者ライアーン、怒れる女ツサイス、情無用のチャンといった魔法が漏れ出してくるのだった。私の知り合いにはこの本のことを少しでも知っている者は誰もいなかったが、私にはこれこそが世界で最高の本だとわかっていた。-- "The Feast of Saint Catherine", Castle of Days, p.211

ヴァンスは船員をしながら小説を書き始め、1945年に "The World Thinker" という短編でスリリング・ワンダー誌から作家デビューし、その後1950年に最初の単行本としてこの "The Dying Earth" が出版されました。これは題名通り、死にゆく遠い未来の地球を舞台とした連作短編集で、船員時代に執筆したものの雑誌掲載を断られた作品を集めたものだそうです。

ヴァンスというと「魔王子」シリーズのようにエキゾチックできらびやかな異世界を舞台にした楽しいスペースオペラとのイメージがあります。しかしこの「終末期の赤い地球」では、もちろんそういった要素の萌芽はあるものの、もう少しおどろおどろしいクラーク・アシュトン・スミス風の伝奇小説といった色合いが強く出ています。「終末期の地球」が舞台ではあるもののSF的な要素は少なく、最近の作家で言うと「闇の公子」をはじめとするタニス・リーの「平たい地球」シリーズなどが近いような気がします。またダン・シモンズの「ハイペリオン」中の「詩人の物語」に登場するマーティン・サイリーナスのベストセラー詩集は、まさに "The Dying Earth" と題されています。

トランスラインの初代の担当編集者は、名前をタイレナ・ワイングリーン=ファイフといった。詩集の題名を『終末の地球(ザ・ダイング・アース)』としたのは、彼女のしわざだ(記録をさぐってみたところ、五百年前に同題の小説が刊行されていることがわかったが、著作権は失効していたし、本も絶版になっていたので、これでいこうということになったのさ)。--酒井昭伸訳、早川書房刊「ハイペリオン」p.209

"The Dying Earth" は同様の世界を舞台にした "The Eyes of the Overworld" (1966), "Cugel's Saga" (1953), "Rhialto the Marvellous" (1984) とともに "Tales of the Dying Earth" として一冊にまとめられています。なお、このうち "The Eyes of the Overworld", "Cugel's Saga" は主人公の名前から<キューゲル>シリーズとも呼ばれます。"Cugel's Saga" の一篇「十七人の乙女」("The Seventeen Virgins", 1974)は浅倉久志訳でSFマガジン1980年7月号に掲載されており、こちらは「魔王子」をほうふつとさせる楽しい悪漢物語となっています。

小説以外ではこの作品はファンタジーRPGの魔法の扱い方に多大な影響をおよぼしています。登場人物のほとんどはさまざまな魔法を操るのですが、呪文を覚えるのがきわめて困難であるため、一度に覚えられるは4-5種の魔法だけであり、またせっかく覚えた魔法も使ってしまうと再度覚えなおさなければなりません。例えば魔術師マジリアンはツサインを捕えるために<ファンダールの渦旋活殺の術><フェローヤンの二次金縛り><無敵火炎放射術><活力持続呪法><球状排撃術>を選びます。どれも50年後のドラクエやファイナル・ファンタジーでもおなじみの魔法ですね。

この「終末期の赤い地球」がSF史に残る傑作かというと、少々疑問が残ります。異世界描写は魅力的ではあるものの、さほど奥行きがあるわけではなく、またストーリーもあってないような他愛のないものです。しかしながらここには、デビュー前のヴァンスが己の夢想の全てをたたきつけたような、何とも言い難い原初的な力があります。ジーン・ウルフのような極めて知的な作家が「自分にもっとも影響を与えた作品」といい、また今日に至るまで世界中に熱心なファンがいることは、この物語の<夢想>の性質が、良くも悪くもSFのエッセンスの一つだということでなないかと思います。

「魔術師マジリアン」 "Mazirian the Magician"

魔術師マジリアンに捕らわれたトゥーリャンを救い出すため、トゥーリャンにより魔法の槽で造りだされた美しい娘ツサインが、さまざまな機転によってマジリアンと闘う物語。

彼はさっとふりむいた。すると、森のはずれ、いままでになく近いところに娘がいた。近づいても、身動き一つしない。マジリアンの老いと若さをないまぜた眼がキラリと光った。娘をわが館へ連れかえり、緑のガラスの獄に閉じこめてやろう。火と寒さ、苦痛と快楽でその頭脳をためしてやるのだ。葡萄酒を注がせ、黄色いランプの灯かげで十八種の媚態をさせてやるとも。--「終末期の赤い地球」8ページ

「ミール城のトゥーリャン」 "Turjan of Miir"

トゥーリャンが地球の彼方の世界エムブリオンの大魔術師パンドリュームに弟子入りし、知性ある生命を創造する魔法を会得して美女ツサインを生み出し、ともに地球に帰る物語。なおこの挿話は時間的には「魔術師マジリアン」の前の物語であり、また現行の "Tales of the Dying Earth" でも巻頭に置かれています。

「地球の空はいろんな色をしているの?」

「いいや」彼は答えた。「地球の空はかぎりなく暗い青色で、老いた赤い太陽が空をめぐっている。夜になると、いずれ教えてあげるが、模様になって星が並ぶのだよ」--「終末期の赤い地球」48ページ

「怒れる女ツサイス」 "T'sais"

大魔術師パンドリュームによって絶世の美女として造りだされたが、その際の手違いで脳に損傷を負い、全てのものを醜く忌まわしいものに感じる運命を背負わされたツサイスの物語。ツサイスは自分を原型に造られた心優しい妹ツサインに出会ったことから、世の中には「美しいもの」があることを知り、地球に旅立ちます。地球でツサイスは、魔女ヤヴァンヌによって醜い姿に変えられたエタールと出会い、苦難の末「美しいもの」を感じる能力を勝ち取ります。

ただ一人――いまだ寛衣につつまれたもの静かな女が、この狂騒をかきわけて、目をみはるばかり優雅なものごしで、しずしずと歩を進める。女は石段にのぼり、寛衣をはらりとぬぎすてた。みずみずしく、海泡のように浄らかな腰で襞をとった霧のような薄衣から肌もあらわなヤヴァンヌであった。つややかな赤毛が肩に流れ落ち、巻き毛の房が胸をおおっている。つぶらな灰色の瞳もすずしく、苺のような唇をほんの少しあけて、彼女は群集に視線をさまよわせた。人々は歓呼し、ヤヴァンヌは、じらすようにゆるやかに腰をゆり動かした。--「終末期の赤い地球」79ページ

「無宿者ライアーン」 "Liane the Wayfarer"

悪党で無宿者のライアーンが、美しい魔女リースの求めにより、情無用のチャンに奪われた黄金のつづれ織りを取り戻そうとする物語。

「そなたも浅はかなことをするものよ。このライアーンさまはな、恐怖を恐怖する者からおそれられ、愛を愛する者から愛される男なのだぞ。しかも、そなたは――」と、彼は黄金色にかげろう彼女の肉体をながめまわした――「甘やかな果実のように熟れ、愛にこがれ燃えたち、ふるえている。そなたはライアーンの心にかない、彼はあまたの情をそなたにかけよう」--「終末期の赤い地球」94ページ

「夢の冒険者ウラン・ドール」 "Ulan Dhor"

金髪の太守カンディーヴの甥ウラン・ドールが、太守の求めによって伝説の国アムプリダトピアを訪ねて大魔術師ロゴル・ドームドンフォルスの魔法を探索する物語。アムプリダトピアでは緑色の服を身につけたパンジウ教徒と灰色の服を身につけたカズダル教徒が争っていますが、ロゴル・ドームドンフォルスの魔法によって互いの姿が見えず、相手を幽霊と考えています。ウラン・ドールは灰装族の娘イーライとともに魔法を解き放ちますが、互いの姿が見えるようになった緑装族と灰装族は戦いを始めます。この物語はウルフの "Empires of Foliage and Flower" に影響を与えているようです。

余の記憶にあるかぎり、ロゴル・ドームドンフォルスが都に君臨していた。彼は古今の学識と、火と光、重力と反重力の謎、超自然な命数表、破壊と再生の学に通じていた。その深遠さにもかかわらず、支配者としては非力で、アムプリダトピア人の精神の軟弱については盲目であった。そのような脆弱と無気力をみて、彼はそれを教育の不在に帰せしめ、晩年には、あらゆる労働から人を解放する巨大な機械を開発し、かくて、瞑想と禁欲的な修養のためのまったき無為を可能としたのだった。--「終末期の赤い地球」108ページ

このロゴル・ドームドンフォルスの姿は「新しい太陽の書」のテュポーン、それにサイリアカの語る古代の機械の知性を思わせます。

「スフェールの求道者ガイアル」 "Guyal of Sfere"

あらゆることに疑問を抱き、失われた知識を求める青年ガイアルが、古代の全ての知識を保存する<人間博物館>を訪ねる物語。<人間博物館>に巣くう幽霊たちへの生贄とされた美しい娘シエールとともに、ガイアルは館主カーリンを狂気から解き放ち、幽霊たちを倒して古代の知識を手に入れます。当然この物語からはウルタン師の<図書館>が連想されます。

「これはな、人類が知り、体験し、達成し、あるいは記録したあらゆる知識が詰まった大いなる頭脳なのじゃ。ここには古今の失われた知識、寓話的な想像の所産、一億の都市の歴史、時間のはじまりとその仮想的終焉、人間存在の条理、条理のための条理がある。来る日も来る日も、わしはこれらの貯蔵庫に埋もれて骨身をけずってきたが、得たものはもっとも皮相な知識の梗概にすぎん」--「終末期の赤い地球」205-206ページ

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