ultan.net: 登場人物

Last Updated:

10/06/2002




サイビー Cyby

<城塞>の中の図書館を管理する管理者組合の徒弟。盲目の師匠ウルタン師のもとで働いています。

切り立ったでこぼこの石の壁に囲まれている(ように見える)細い路地のずっと先に、やっと明かりが近づいてきた――五本に枝分かれした燭台を、平たい、青白い顔をした四十歳くらいの、がっちりした、非常に姿勢の良い男が持ってやってくるのだった。わたしのそばの顎鬚の男がいった。「やっときたか、サイビー。明かりを持ってきたかな?」--「拷問者の影」第6章

図書館の管理者組合では、拷問者組合がそうであるように、幼い子供の中からから将来の組合員となる候補者を選び出します。ただし拷問者組合に加入する子供が拷問によって殺された犠牲者の子供であり、自分では選べないのに対し、図書館管理者となる子供は、ある意味自分自身でそうなることを知らず知らず選択したともいえるものです。

「わしがこの組合へ加入を許された時のことは、ほとんど覚えていないが、たぶんおまえはわれわれの会員の募集方法を知っているだろうな?」

わたしは知らないといった。

「昔からの規則で、あらゆる図書館に子供用の部屋が用意してある。そこに、子供たちの喜びそうな綺麗な絵本と、いくらかの単純な驚異の物語が置かれている。多くの子供たちがこれらの部屋にやってくる。そして、彼らがその分野に留まっているかぎり、彼らに対しては何の関心も持たれない」

彼はためらった。そして、その顔には何の表情も認められなかったが、これから言う事がサイビーに苦痛を与えるのではないかと恐れているような印象を、わたしは受けた。

「しかし、まだいたいけな年齢で、子供室から一人でさまよい出て・・・・・・しまいにまったくそこに戻らなくなる子供がいることに、時々、司書が気づく。そのような子供はしまいに、どこか低くて薄暗い書棚に『黄金の書』を見つける。おまえはこの本を決して見たことはないし、これから見ることも決してないだろう。それに出逢う年齢を過ぎているから」--「拷問者の影」第6章

この少々あからさまな比喩は、ウルフ自身の<図書館>=<書物の世界>との出会いをあらわすものでしょう(本当にそうかどうかはともかくとして、読者がそのように受け取ることを意図したことは確かでしょう)。それでは「これから言う事がサイビーに苦痛を与えるのではないかと恐れているような印象」とは何を意味するのでしょう。幼いときの無意識の選択によって図書館という小さく、一方では無限大の世界に生きることを余儀なくされた苦痛でしょうか?それともかつて自分を魅了した<黄金の書>に二度と出会いない苦痛でしょうか?いずれにしても、ウルフの描くサイビーのエピソードには、なにやらウルフ自身の個人的な思い入れが反映されているような気がしてしょうがありません。次に引用する部分(盲目の老師匠が四十歳の弟子の禿げかけた顔を撫でてまだ少年だと勘違いする)なども、物語の文脈からするといかにも唐突な描写であり、なんらかの異化作用を意図したものと思われます。

サイビーの額は高く角張っていて、灰色の髪の生えぎわが後退していた。それで、彼の顔は小さく、ちょっと赤ん坊の顔のような感じがした。ウルタンは、ちょうどパリーモン師が時々わたしの顔を指で撫でるように、その顔を撫でるにちがいないから、それで彼がまだほとんど少年だと思っているのだと、わたしは理解できた。--「拷問者の影」第6章

サイビーについては、"The Urth of the New Sun" の中で、セヴェリアンが滅び去ったウールスを思って嘆き悲しむ場面で少しだけ登場します。

きっとそれはこの物語の記憶がもたらしたものだったと思う。きっとあの水底に沈んだ図書館の、おそらくサイビーが最後の師匠として管理し、また間違いなくサイビーがその中で死んだであろう図書館のその記憶が、認識を呼び起こしたのだろう。理由はなんであろうとこの時、ウールスがもはや破壊されたとの認識が、かつてないほどの明白さと恐怖をもっておとずれた。-- "The Urth of the New Sun", p.331 (管理人訳)

ここではサイビーは<新しい太陽>の到来によって失われるものの代表として描かれています。その意味でサイビーの位置付けはヴァレリアのそれとよく似ているように思われます。

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