Last Updated:
08/18/2002
オリサイアでアスキア軍と戦う槍騎兵不正規軍・第十八部隊の司令官。セヴェリアンを脱走兵かなにかだと思ったグアザヒトは自分の部隊に加わるように言います。
だが、やってきたのは、背の高い酷使された馬に乗った、小柄で太った精力的な顔つきの男だった。その男はわたしを見ると手綱を引いた。だがその表情から、逃げる必要も闘う必要もなさそうだということがわかった。(中略)
彼はびっくりするほど機敏に、ひらりと馬の鞍から飛び降り、手綱を地面に投げ出して、大股に近寄ってきた。脚はちょっとがに股で、顔はちょうど粘土で型取って窯で焼く前に上下から押しつぶしたとでもいうように、額と顎が浅く、横に広がっていて、目が細く、口が大きかった。それでもわたしは、彼の元気の良さと、そして、不正直さを少しも隠す努力をしていないところが、いっぺんに気に入った。--「独裁者の城塞」第19章
グアザヒトの部隊は、<共和国軍>の軍資金を乗せた大型馬車を奪ったアスキア人を撃退することに成功しますが、それと同時に自分たちが軍資金を狙う味方の軍勢に囲まれていることに気づきます(もっともグアザヒト自身もあわよくば軍資金を奪おうと考えていたわけですが)。セヴェリアンの仲介によりアスキア人、それに軍資金を護る独裁者の類人獣と一時休戦したグアザヒト隊は、一気に軍資金を狙う共和国兵の囲みを強行突破し、独裁者のアンピエルに救われます。
その後グアザヒトの部隊はアスキア人の奇妙な部隊と戦闘に突入します。
野蛮人部隊は消えてしまったように思われた。彼らのいた場所の側面の、今はわれわれの前面になっている部分に、新たな部隊が出現していた。最初わたしは、あの茶色の本の中の絵で見たケンタウロスという動物に乗った騎兵かと思った。彼らの騎乗獣は人間の頭を持ち、その上に乗り手の肩と頭が見えた。その両方に腕があるように見える。もっと近くに寄ると、そんなロマンチックなものではないことがわかった――非常に背の高い人間の肩に、小さい人間――ありていに言えば小人だ――が乗っているだけだった。--「独裁者の城塞」第22章
グアザヒトの部隊はこの戦闘によりほとんど全滅し、セヴェリアンも重傷を負うことになります。ところで「新しい太陽の書」がジャック・ヴァンスの「終末期の赤い地球」 "The Dying Earth" (日夏響訳、久保書店刊、絶版)へのオマージュだという話は有名ですが、「騎乗用の人間」というイメージは、ヴァンスの1963年ヒューゴー賞短編部門受賞作「竜を駆る種族」 "The Dragon Masters" (浅倉久志訳、早川書房刊、たぶん絶版)を連想させます。こちらはある惑星を舞台にして、人類の末裔と爬虫類型異星人の戦闘を描いた、ヴァンスらしい異世界趣味全開の作品で、何が凄いかといって、人類と相手の異星人が互いに、敵の捕虜を品種改良(?)して戦闘用や騎乗用の獣にしてしまっていることです。戦闘用人間に改造された人類は、もはや人類でありながら人類でない、コミュニケーション不能の存在になってしまっています。
また、決り文句しか口にできないアスキア人のある種ゲーム的な描き方も、いかにもヴァンス風で、例えば「月の蛾」 "The Moon Moth" (浅倉久志訳、こちらは河出文庫「20世紀SF第3巻」で入手可能です)あたりの影響があるように思えます。「終末期の赤い地球」に続くヴァンスのキューゲル・シリーズには「十七人の乙女」 "The Seventeen Virgins" (浅倉久志訳、SFマガジン1980年7月号)という作品もあり、これもアスキア人の<十七人組>や『十七人のメガテリアンの生涯』とか「十七石のキャドロウなり!」と関係があるような気もしますが、よくわかりません。
M: メニュー I: インデックス P: 玉座の従者 N: クーマイの巫女
管理人連絡先 webmaster@ultan.net