ultan.net: 登場人物

Last Updated:

10/03/2005




モーウェンナ Morwenna

サルトゥスの町に住む女で、夫であるスタチズと子供のチャドを毒殺したとして告発され、セヴェリアンによって処刑されます。

わたしはモーウェンナを見た。やつれた顔、清らかな肌、憂わしげな笑み、大きい黒い瞳。彼女は群衆の中に、まったく望ましくない同情の念を呼び起こすタイプの囚人だった。--「調停者の鉤爪」第4章

モーウェンナは、夫と子供とが連続して不審な死を遂げたことから、(おそらく夫スタチズの元愛人であった)エウゼビアによって告発されて有罪判決を受け、たまたまサルトゥスの町に滞在していたセヴェリアンによって処刑されることになります。ところが処刑の前、セヴェリアンの友人ジョナスはセヴェリアンに疑問を投げかけます。

「彼女は無実だと思うかい?」

わたしはシャツを脱ぎかけていた。そして両腕を抜き出すと、シャツで顔を拭き、首を振った。

「絶対に無実ではない。昨夜、降りていって話をしたんだ――彼女は水際に繋がれているが、あそこは蚊やブヨがひどいなあ。そのことはもういったが」

ジョナスは自分でワインに手を伸ばした。その金属の手はカップに触れるとカチリと鳴った。

きみはいったな。彼女は綺麗で、なんとかいう人のように髪が黒いと――」

「セクラのようにね。だが、モーウェンナの髪はまっすぐで、セクラのはカールしていた」(中略)

「そして、このモーウェンナという囚人は、夫と子供が死んだのは、病気――たぶん悪い水――のせいだと、きみに話したというんだね。そして、その夫は彼女よりもかなり年上だったと」

わたしはいった。「おたくと同じくらいの年齢だと思う」

「そして、その夫に想いを寄せていたもっと年上の女がいる。そして今、その女がこの囚人を責め苛んでいるというわけだね」

「言葉でだけだ」(中略)

「きみは彼女が綺麗だといった。たぶん大衆は彼女が無実だと思っているのだろう。たぶん憐れんでいるだろう」

わたしはテルミヌス・エストを抜き取り、柔らかい鞘は落ちるにまかせた。「無実の者には敵がいる。大衆は彼女を恐れている」--「調停者の鉤爪」第4章

もちろん拷問者は裁判官ではないため、セヴェリアンには自分がモーウェンナを有罪と思うかどうかにかかわらずモーウェンナを斬首することが求められます。それにしては拷問者らしくもなく「絶対に無実ではない」と言い切るあたりがセヴェリアンの置かれた立場の苦しさをあらわしているように思われます。さらにモーウェンナがセクラに似ていたという事実があります。セクラの方を救うことができず、今またひょっとしたら無実かもしれないモーウェンナを処刑することが、ある意味セヴェリアンの<狂気>に拍車をかけることになるのではないでしょうか。

一条の光の中に、わたしのマントのように黒い髪に縁取られた、モーウェンナの美しい顔が浮かんだ。その首から石の上に血が滴った。唇が動いたが、言葉は出なかった。しかしわたしは(まるで "永遠" の割れ目から "時の世界" を覗く自存神ででもあるかのように)その光景の内側に、その農家を、ベッドの上で苦しみ悶えている彼女の夫スタチズを、池のほとりで火照った顔を洗っている小さなチャドを、見た。--「調停者の鉤爪」第1章

上の引用は「調停者の鉤爪」の冒頭部分であり、一応物語内の時間ではセヴェリアンがモーウェンナを処刑する前の晩のセヴェリアンの夢で、ここではモーウェンナは既に処刑されています。一方セヴェリアンは自分の<完全記憶>に基づいて<手記>を記録しているわけですから、<手記>の書かれた時点ではモーウェンナは当然既に処刑されているわけです。従って、セヴェリアンのこの夢が本当に処刑の前に見られたものなのか、それともセヴェリアンの記憶が後から捏造したものなのかはさだかではありません。

さらに、セヴェリアンはマントの中に<鉤爪>を入れて枕にして眠ったため、彼の夢は<鉤爪>の多大な影響を受けていたと考えられます。<鉤爪>が時間を捻じ曲げることによって、翌日のモーウェンナの処刑が既に起きた絶対的な事実としてセヴェリアンの中に植えつけられ、それによってセヴェリアンから一切の判断力が失われてしまった可能性はあります。夢の中で自らを<自存神>に例えていることも、<鉤爪>の影響力をあらわしているように思います。

その一方で、モーウェンナの処刑後に読者(およびセヴェリアン)には、エウゼビアからスタチズとチャドの死に関する<真実>が明かされます。

《無実だよ! 彼女は無実だったんだよ!》

今は、自分はモーウェンナを裁いた判事ではないと説明している時ではなかったので、わたしはただうなずいた。

《彼女はスタチズを盗んだ――わたしから! 今、彼女は死んだ。わかるかい? 彼女は結局、無実だったんだよ。でも、わたしはとても満足だ!》

わたしはまたうなずき、首を持ち上げて断頭台の上を、もう一周した。--「調停者の鉤爪」第4章

エウゼビアの言葉が事実であるという客観的証拠はどこにもありません。しかし、少なくともエウゼビア自身が自分の言葉を事実だと考えていたのでなければ、彼女の言葉には意味がないわけで、従って物語の論理としては、エウゼビアの言葉が事実であり、モーウェンナは冤罪であったと考えるのが自然ではないでしょうか。にもかかわらず、セヴェリアンがエウゼビアの言葉で心を動かされた形跡はありません。それどころか、セヴェリアンの記憶の中ではモーウェンナは「夫と子供を毒殺した女」と固定されてしまっているようです。

サルトゥスで処刑したあのモーウェンナは、自分が自由であり、おそらく処女だった時代を思い出して、夫と子供を毒殺したに違いない--「独裁者の城塞」第2章

このサルトゥスとモーウェンナのエピソードは、それなりに印象的ではあるものの、「調停者の鉤爪」全体の物語とは関連性が薄く、なぜわざわざ冒頭に置かれているのか疑問を抱かれる方もいらっしゃると思います。筆者の現在の考えでは、セヴェリアンの<完全記憶>ならびに判断力のいかがわしさを強調するという重要な機能があるように思います。

また、モーウェンナの処刑を記述したのは、それが行なわれた状況が異常だったからである。他の処刑については、何か特別に興味あることがない限り記述するつもりはない。もし諸君が、他人の苦痛と死に喜びを感じるとしたら、わたしの物語からほとんど満足は得られないだろう。(中略)今後、旅行の話をする時には、いちいち言及はしないが、利益になる場合にはわたしが組合の秘伝を実践したものと了解願いたい。--「調停者の鉤爪」第4章

おそらくは無実であったであろうモーウェンナを処刑したセヴェリアンは、その後も旅の間に「利益になる場合には」淡々と処刑を実践していったはずです。それらはセヴェリアンにとって「特別に興味あること」ではない単純な、しかしかなり実入りの良い職務遂行であり、それに対してセヴェリアンは全く疑問を感じていないことは注意しておく必要があります。セヴェリアン自身は「他人の苦痛と死に喜びを感じる」類の人間を、ある意味見下しているように思われますが、実は彼自身は「他人の苦痛と死」に何の感情も抱かない人間であることが、暗に示されています。そのことは、この部分で示されているにもかかわらず、その後の数々の処刑が「いちいち言及」されないことから、読者の意識からは即座に隠蔽されるわけです。

ところで、上に引用したセヴェリアンとジョナスとのモーウェンナに関する会話の中で「無実の者」に相当する原文は "The innocent" です。文脈からすると確かに「無実の者」で誤りではありませんが、「新しい太陽の書」において「イノセンス」"innocence" と言えば、タロス博士がドルカスを指して言う言葉<純潔>が頭に浮かびます。

「そして、一緒に連れているのは誰だ?」タロス博士は松明の光でドルカスを見ようとして、体を乗り出した。「きっと<純潔>だ。そうだ、さあ、これで全員がそろった!」--「拷問者の影」第32章

従って上記セヴェリアンの台詞「無実の者には敵がいる。大衆は彼女を恐れている」は、モーウェンナのみならずドルカスに対して向けられた言葉と解することも可能です。実はモーウェンナとドルカスとの同一視は、上記「独裁者の城塞」から引用した部分の前後にも見られます。

今にして思えば、ドルカスは、われわれを裏切るあの女たちの大群(実際、それはすべての女を含んでいるかもしれない)の一員なのだ――それも、現存するライバルのためではなく、自分自身の過去のために裏切りを働く、特殊なタイプの女に属していた。サルトゥスで処刑したあのモーウェンナは、自分が自由であり、おそらく処女だった時代を思い出して、夫と子供を毒殺したに違いないが、それと同様にドルカスは、自分の寿命が尽きる前にわたしが存在していなかった(彼女が無意識に見抜いたように、わたしが存在しそこねた)からこそ、わたしのもとを去ったのである。--「独裁者の城塞」第2章

ここでセヴェリアンは(真偽はともかく)ドルカスとモーウェンナが「過去」を大事にすることを、自分に対する裏切りであると考えます。この奇妙な論理はいったい何でしょうか。「新しい太陽の書」の随所にあらわれるセヴェリアンの奇妙な論理は、多くの場合、セヴェリアンの<混乱><狂気>をあらわすと同時に、彼が見過ごしている<真実>を示しているように思われます。この引用部分ではセヴェリアンは<鉤爪>の影響力によってミレスの時間を捻じ曲げて復活させているわけですが、このようなセヴェリアンの<狂気>は、セヴェリアンが<鉤爪>の強い影響下にある場合が多いようです。

ひとつの解釈としては、<純潔>な存在であるドルカスとモーウェンナは、セヴェリアンが直視することを無意識に拒否している<真実>を見抜く力を持っていること、また<調停者>となるセヴェリアンは、ドルカスとモーウェンナが大事に思う(ウールスの)過去を破壊する存在となること、従って彼女らの<純潔>は<調停者>セヴェリアンの敵となりうること、が考えられます。この場合「無実の者の敵」とはセヴェリアン自身に他なりません。

ところで "innocence" と例えられる存在がもう一種類存在します。サルトゥスの鉱山の地底奥深くに住む猿人たちで、以下の引用文の「無邪気な心」の原文が "innocence" です。

そして、たとえ彼らがいろいろな点でわれわれより劣っているとしても、ウールスの地底のこの隠された都市の住民には、醜い無邪気な心という祝福が与えられていると、わたしは思った(し、また今もそう思っている)。--「調停者の鉤爪」第6章

彼らもまたウールスの「過去」をあらわす<無邪気><純潔>な存在であると言えます。

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