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05/19/2002
ウールスとそこに住む人々の没落の原因でもあり、象徴でもある古い太陽。それに対してウールスに再生をもたらす存在(再生後のウールスはウシャスと呼ばれますが)が「新しい太陽」です。最初「新しい太陽」はある種の民間信仰として作品中にあらわれます。それはテュポーンの時代(セヴェリアンの時代からおよそ1,000年ほど前)にあらわれた「調停者」と呼ばれるものと同一人物であり、ウールスを蘇らせるために「新しい太陽」として帰ってくると信じられています。ペルリーヌ尼僧団をはじめ多くの人々が「新しい太陽」の到来を待ち望んでいるのに対して、アバイアやエレボス、それにスラックスの北のジャングルに住む魔法使い達のように、「新しい太陽」の到来を阻止しようとする勢力も存在します。
わたしは知らないと答えたが、これは<新しい太陽>の到来に反対する呪いだと確信した。そして、子供の頃、わたし自身が熱烈に望んでいながら、同時にほとんど信じていなかった太陽の再生に、だれかが反対していることを知って、なんとなく胸が痛んだ。--「警士の剣」第20章
組合の師匠達から「新しい太陽」について教えられてきたセヴェリアンの認識は次のようなものです。
彼は<調停者>の再来です――正義と平和をもたらす<調停者>の化身です。いろいろな絵で、太陽のように輝く顔を持った姿に描かれています。わたしは拷問者の徒弟をしていて、助祭ではありませんでしたから、これだけしかいえません。--「独裁者の城塞」第31章
おそらくこの時代の一般の人々の認識もこの程度のものでしょう。これに対してアクアストルであるマルルビウス師は次のように語ります。
<黒い穴>といわれる空間の割れ目のことを知っているな。そこからは物質のかけらも、光のかけらも決して戻ってこないといわれる場所だ。しかし、おまえは今まで知らなかったが、これらの割れ目には<白い泉>という対蹠物がある。そこから、より高い宇宙によって弾き出された物質とエネルギーが、果てしない滝となってこの宇宙に流れ落ちている。もしおまえが通過すれば――もし、われわれの種族が空間の大海にふたたび入る用意ができていると判断されれば――そのような<白い泉>がわれわれの太陽の中心に創られるだろう。--「独裁者の城塞」第31章
「古い太陽」が死んでしまったのは、太陽内部でブラックホールが物質を飲み込んでいるため、核反応が停止したからだと思われますが、これは、人為的にホワイトホールを造りだして太陽の中心に置くことにより太陽を再生させるという、唐突なほどにSF的なアイデアです。けれども、なぜこのような物理的な存在である「新しい太陽」が、同時に過去に存在していた「人間(?)」である「調停者」の再来とみなされるのでしょうか。この謎については第五作の "The Urth of the New Sun" で明らかになります。それでは「新しい太陽」がやってきた時に何が起こるのでしょう。ヒントはタロス博士の劇「天地終末と創造」の中にあります。
第一の悪魔 大陸そのものがやつれ果てた老婆のように年老いて、とうの昔に美しさを失い、不毛になっています。<新しい太陽>がやってきて――
独裁者 知っている!
第一の悪魔 ――それらを難破船のように打ち砕いて海に沈めます。
第二の悪魔 そして、海から新たに――金、銀、鉄、銅、それにダイアモンド、ルビー、トルコ石などのきらめく陸地が、大昔に海中に洗い落とされて百万世紀にもわたって堆積した泥の中を、のたうちまわりながら隆起してきます。--「調停者の鉤爪」第24章
ちなみにこの劇は、タロス博士の主張によれば失われた「新しい太陽の書」の一部を脚色したものとされています。独裁者の玉座に就いたセヴェリアンが書き記している手記自体が「新しい太陽の書」であるわけですが、博士の言う「新しい太陽の書」は、それとは別の書物のようです。これについてもやはり "Urth of the New Sun" で一部が明らかになります。
セヴェリアン自身も<新しい太陽>の実態について完全に理解しているわけではありませんが、本人が意識するしないにかかわらず<調停者の鉤爪>を通して<新しい太陽>の力を行使していると思われる例は何箇所もあります。例えばスラックスのあばら家に住む瀕死の少女を助けた時がそうです。
<鉤爪>の深い光を受けた少女の顔は、目の下の窪みや、剥げ落ちた頬が強調されて、昼間見たときよりもいっそう弱々しく恐ろしいものに見えた。(中略)これを使ったすべての場合で、このときほど目覚しい効果を発揮したことはなかった。おそらくこれは、わたしの側のいかなる自己欺瞞によっても、どれほど不自然な暗合によっても、起こったことに説明がつかない唯一の例だろう。(中略)だがこの場合は、まるで、想像もできないなんらかの力が、一クロノンと次のクロノンとの間に働いて、宇宙の軌跡をねじ曲げたかのようだった。少女の、澱みのように黒い本物の目が開いた。その顔はさっきまでの髑髏ではなくなっており、ただの若い女のやつれた顔になっていた。「そんなに輝く服を着ているあなたは、だれ?」少女は尋ねた。それから、「ああ、わたし夢を見ているんだわ」--「警士の剣」第8章
同様に<鳥の湖>でドルカスを蘇えらせたのも、アルザボの力を借りてセクラの方がセヴェリアンの中に復活したのも、いずれも<鉤爪>と<新しい太陽>の力の賜物だと思われます。なぜ<鉤爪>がこういった力を発揮しうるのか、セヴェリアンはいくつかの仮説を立てます。
二つの説明を考え出したが、両方ともとてもありえないようなものである。ドルカスとわたしはかつて、現実の世界の事物の象徴的意義について語りあった。哲学者たちの教えによれば、事物というのは、それ自身よりも高い次元にあるものを表わし、また、より低い次元においては、今度はそれらの事物自身が象徴化されているという。(中略)もしわたしが、話に聞く<白い泉>で太陽の若さを取り戻すべき人物だとしたら、わたしはほとんど無意識のうちに(この表現を使って差しつかえないとすれば)、更新された太陽のものである生命と光の属性をすでに与えられているのではないだろうか?
今述べたもう一つの説明は、ただの想像の域を出ない。しかし、マルルビウス師がいったように、星々の間でわたしを裁くものたちが、わたしが失敗したら男性を取り上げるとしても、もしわたしが人類の代表として彼らの願望に従い、同等の価値のある贈り物をすれば追認される、ということになるのではないか?わたしには正義がそれを要求しているように思われる。もしそうなら、彼らの贈り物は、彼ら自身がそうであるように、時間を超越しているのではないだろうか?--「独裁者の城塞」第34章
上記引用部分の二番目の段落がちょっとわかりにくいですが、原文では
The other explanation I mentioned is hardly more than a speculation. But if, as Master Malrubius told me, those who will judge me among the stars will take my manhood should I fail their judgment, is it not possible also that they will confirm me in some gift of equal worth should I, as Humanity's representative, conform to their desires? It seems to me that justice demands it. If that is the case, may it not be that their gift transcends time, as they do themselves?
となっているので、以下のように訳した方が良いような気がします。
もう一つの説明はほとんど憶測に過ぎない。しかしマルルビウス師が言ったように、星々の間でわたしを裁く存在が、わたしが失敗した場合にわたしから男性としての機能を奪うとするなら、かわりに同じくらい価値のある贈り物を授けてくれるということも有り得るのではないか?なぜならわたしは人類の代表として、裁くものたちの望みに従って行くのだから。わたしにはそれが公正なことだと思われる。もしそうなら、贈り物は贈り主自身と同じく時間を超越して働くのではないだろうか?
この些か抽象的な説明では、結局<鉤爪>とは何だったのかはっきりせず、明確な説明は "Urth of the New Sun" を待たねばなりませんが、次に引用する部分は重要な意味を持つことが後に明らかになります。
こうしてサファイアのケースなしに見ていると、首長の家で奪われる前の日々には決して気づかなかったある効果を、わたしは深く感じた。それを見ると必ず思考が拭い去られるように思われるのだ。酒やある種の麻薬のように、それにふさわしくない精神を溶かすのではなく、名づけようのない高度の状態と、精神とを置き換えることによってそうするのである。わたしは何度も何度も自分がその状態に入るのを感じ、そのたびごとにより高く昇っていき、しまいには自分が正常と呼ぶ意識のモードに戻らなくなるのではないかと恐怖を感じ、何度も何度も、そこから精神を引き離すのだった。そして、戻ってくるたびに、広大な現実に対する表現不可能な洞察力を得たと感じるのだった。
ついに、これらの大胆な前進と恐ろしい退却とを長いあいだ繰り返した後に、自分が持っているこの微小な物体について、真の知識に到達することは決してないだろうと覚った。そして、この思想とともに(これは一つの思想だったから)、第三の状態がやって来た。何かわからぬものへの幸福な服従の状態。反省抜きの服従。なぜなら、もはや反省することは何もないのだから。そして、ほんの少しも反抗の気味のない服従。この状態はその日いっぱいと翌日の大部分にかけて、持続した。この頃には、わたしはすでに山岳地帯に深く入り込んでいた。--「警士の剣」第38章
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