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Last Updated:

09/11/2005




真理と悔悟の探求者 The Seekers for Truth and Penitence

セヴェリアンの属する拷問者組合の正式名称。「真理と悔悟の探求者の結社」とも。

剣を振り上げている間はわたしは徒弟であり、振り下ろした瞬間に "真理と悔悟の探求者" の職人になることになっていた。--「拷問者の影」第11章

冬の終わりの守護聖女聖キャサリンの祭の日は、昇格の有無によって三つに分けられます。職人が師匠に昇格する場合は "大" の祭で、これは何十年に一度だけ、前回はグルロウズ師が昇格した年が相当します。少なくとも一人の徒弟が職人になる場合は "中" の祭で、セヴェリアンが昇格した年は前年に続いて "中" の祭にあたります。昇格がまったくない場合は "小" の祭となります。セヴェリアンより三歳若いイータが昇格するまでには、あと三回 "小" の祭が続くことになります。

「真理と悔悟の探求者」組合に限らず、135におよぶ<城塞>の壁の内部で働く会員を持つ組合はそれぞれ守護聖人を持っており、余裕のある組合はそれぞれの守護聖人の祭をおこないます。兵士組合は聖ハドリアンの祭、砲兵隊(これは140ページの記載では「マドロス組合」とされていますが誤訳で、63ページの「砲兵隊」"matrosses" と同じものです)組合は聖バルバラの祭、魔女の組合は聖マグの祭などです。

なおキリスト教の聖人では、聖キャサリン(アレクサンドリアの聖カテリナ)はエジプトの女王で、キリストの花嫁に迎えられるとの告知があり、洗礼後キリストと「神秘の結婚」をしました。これを見初めた皇帝マクセンティウスが多くの博士を動員して彼女の信仰を破ろうとしましたが果たせず、怒った皇帝はカテリナを車裂きの刑にかけようとしました。ところが車輪が天使によって粉砕されたため、最後は斬首されて殉教しました。聖カテリナは教育・学問の守護聖人とされており、その祝日は11月25日です。聖アドリアンはニコメディア宮廷に仕える士官でしたが、キリスト教徒たちが拷問されるのを見て、自身も信仰を明らかにし殉教しました。聖アドリアンは兵士と肉屋の守護聖人で、その祭は9月8日です。聖バルバラは小アジアの貴族の娘でしたが、信仰に目覚めて密かに洗礼を受けます。彼女の父親はこれに激怒し、自らの手でバルバラを斬首します。聖バルバラは建築家・消防士・武器職人の守護聖人とされています。聖マグというのは、聖人というかいわゆる東方の三博士のことでしょうか。

拷問者などの組合は<城塞>の中の礼拝堂で祭をおこない、あくまで<城塞>の内側でのみ儀式をおこないます。一方ウルタン師の属する管理者組合などの場合は<城塞>の外に出て、イウバー通りをねり歩き、市内の寺院で祭を執り行います。

「そうとも、そうとも。寺院もとても見事だぞ。あそこまで、一度行く。小さな灯明が何列にも並んでいて、まるで夜の海に照る太陽のようだ。そして、<鉤爪>を象徴する青いガラスの灯火がある。われわれは高い祭壇の前で、光に包まれて儀式を執り行なう。ところで、おまえの組合は寺院に行くのか?」

わたしは、<城塞>の中の礼拝堂を使うことを説明し、また、司書やその他の組合が城塞の外に出るとは驚いたといった。--「拷問者の影」第6章

ここでいう「寺院」とは、おそらくペルリーヌ修道院の<鉤爪の寺院>を指すと思われます。これに対して、その世界があくまでも<城塞>の中の狭い世界に限られている拷問者であるセヴェリアンは次のように解釈します。

これらのうち(管理者組合がそうであるように)会員が少なすぎて礼拝堂で守護聖人の祭を行なうことができず、市内の同業者組合の祭に参加しなければならないものもある。--「拷問者の影」第11章

確かにウルタン師の属する司書部門には、師匠であるウルタン師と徒弟サイビーの二人しかいません。「管理者組合」全体の構成人数はわかりませんが、この組合には絵画清掃人のルデジンドや植物園の管理者なども含まれており、その職務内容からして拷問者組合よりも規模が小さいとは考えにくいと思います。だとすると「会員が少なすぎて礼拝堂で守護聖人の祭を行なうことができず」というのは、セヴェリアンの視野の小ささからくる誤解である可能性が高いと思います。拷問者組合時代のセヴェリアンにとっての世界は<城塞>がほぼ全てであり、実際<城塞>は大変巨大なものであるようですが、その一方で<城塞>から徒歩わずか数時間の距離にある橋の百人隊長が<昔の城塞>というように、<城塞>の外のネッソス市民にとってはほとんど忘れられた存在に近く、また拷問者組合にしても「とうの昔に消滅してしまったと思っていた」(「拷問者の影」181ページ)ことからもわかるように、セヴェリアンにとっての世界は、周囲からするときわめて小さいものであったのです。

そのように考えられるなら、前述のセヴェリアンの独白は、彼自身の視野の狭さ、思考の偏りを示すためのものだと考えられます。ここで注意すべきなのは「新しい太陽の書」が、とうに独裁者となった後のセヴェリアンによって、彼の記憶をもとに書かれた手記という体裁をとっていることです。通常ならば彼ははるかに広い視野を獲得しているはずであり、書かれた内容の時点で知識に限界があったとしても、書いている時点ではそうではないはずです。実際にそのように、若かった頃の誤解や知識不足を素直に認めている箇所もありますが、セヴェリアンが手記を書いている時点ですら、いまだに視野狭窄=先入観に陥ったままであるかのような記述もあちこちにあるように思います。そのような例は作者ウルフの注意不足である可能性もありますが、この作者の創作技法からして、あくまでも「意図的」にヒントとして用いられたのではないかと思います。

彼女は笑みを浮かべてわたしを見た。「あなたは自分に何か特殊な権威があると考えていますか?」

「わたしは<真理と悔悟の探求者>の職人です。しかし、この地位は何の権威も伴っていません。われわれ組合の者は、裁判官の意志を実行するだけです」--「独裁者の城塞」第8章

「今はもう、自分がそうだとは思っていませんが」わたしは言葉を続けた。「でも、わたしは――」 "拷問者" という言葉が唇まで出かかったが、これは組合の事業をあらわす正確な用語でないと気づいて(そう気づいたのは、この時が最初だと思う)公式の用語を使った。「<真理と悔悟の探求者>として育てられました。われわれはするといったことは必ずするのです」--「独裁者の城塞」第17章

われわれ拷問者は服従する(中略)想像もできないようなことを従順に実行する意志がなければ、だれも真に服従しているとはいえない。そして、われわれ以外に、想像もできないようなことをする者はいないのである。--「警士の剣」第31章

<真理と悔悟の探求者>という正式名称とはうらはらに、拷問者組合のものは、何が<真理>であるかという判断はおこないません。彼らは裁判官やその他の権威の意志を単純に実行する、「想像もできないようなこと」であっても「従順に実行する」存在です。一般の民衆はおそらく「拷問」という職業上の要請のゆえに拷問者を忌み嫌っており、セヴェリアンもまたそのことを自覚しているために拷問者組合の一員であることにアンビヴァレントな感情を抱いていますが、その一方で拷問者組合の、「想像もできないようなことを従順に実行する」という本質については無条件に肯定的であるようです。このセヴェリアンの性質、先入観は彼が独裁者になって後、あるいは実際に<新しい太陽>を召還する段階でも続き、そのことが彼が選ばれた重要な要素となったのかもしれません。

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