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10/10/2005
スラックス北方の森林地帯に住んでいた少女。ビーキャンとキャスドーの娘でセヴェリアン少年と双子のきょうだい。
「あいつは三日前にセヴェラを捕まえたの」キャスドーがいった。彼女は老人を上に引き上げようとしていた。彼は暖かい炉のそばを離れるのをいやがって、ひどくのろのろと上がっていった。「あの子もセヴェリアンも決して森の中には入らせなかったのに、あいつはここの空地の中にまで入りこんできたのよ。夕暮れの一刻前にね。それ以来、毎晩やってくるようになったの。犬はどうしても後を追おうとしなかったけれど、ビーキャンは今日、やっつけるといって出かけたのよ」--「警士の剣」第16章
セヴェリアンがキャスドーたちの住む人里はなれた小屋を訪れた時、娘のセヴェラは既にアルザボの犠牲となっていました。その晩、セヴェラと父親ビーキャンの記憶を有したアルザボは、残る家族のキャスドーとセヴェリアン少年をも喰らおうとします。
彼女が答える間もなく、幼い男の子の声よりかん高い声が呼んだ。《家に入れて、母さん》
何者が口をきいているのか知らないわたしでさえも、その単純な言葉に恐ろしい違和感を覚えた。たぶん子供の声なのだろうが、人間の声ではなかった。
《母さん》その声がまた呼んだ。《雨が振りだしたよ》--「警士の剣」第16章
アルザボ自体には知性がるかどうかは不明ですが、アルザボに喰われた犠牲者は、少なくともしばらくのあいだは人間としての意識を保っており、また自分が今は獣の中で生きていることも認識しています。セヴェリアンとの闘いから一度は引き下がったアルザボは、キャスドーたちを襲った獣化人に闘いを挑みますが、これが家族を守ろうとするビーキャンの意識によるものなのか、それとも単に自分の獲物を奪われまいとする獣の本能によるものなのかははっきりしません。
「あれはきみの姉さんだったんだね?」
彼はうなずいた。「ぼくたち双子だったの。セヴェリアンおじさんには姉さんがいた?」
「知らない。家族はみんな死んでしまったんだ。わたしが子供の頃にね。きみはどんなお話がすきなんだい?」--「警士の剣」第18章
セヴェラは生き残ったセヴェリアン少年と双子であるわけですが、この「双子」という主題はウルフ作品に頻出するものです。例えば誰でも思いつくのがアギアとアギルスの兄妹ですし、上記引用部分の後にセヴェリアンが茶色の本から引用する「<蛙>と呼ばれた少年の物語」にはローマ建国神話のロムルスとレムスを思わせる<蛙>と<魚>の双子が登場します。またセヴェリアン自身もその名前から、やはりセヴェラという名前の姉か妹がいたことが示唆されます。
「わたしがあなたの名前さえ知らないことを知っていて? 彼女は教えてくれなかったのです」
「セヴェリアン」
「わたしはアヴァ。セヴェリアンというのは、男と女の対のきょうだいの名前でしょう? セヴェリアンとセヴェラというように。女のきょうだいはいるの?」
「わからない。たとえいても、魔女だよ」--「独裁者の城塞」第10章
セヴェリアン自身によって彼のきょうだいが魔女であること(これは拷問者の手に落ちた囚人の男の子が拷問者組合に、女の子は魔女組合に育てられる慣習によります)が示唆されます。「新しい太陽の書」に登場するセヴェリアンと同年代の魔女といえばメルリンですから、彼女がセヴェリアンと双子のきょうだいに当たることは間違いないでしょう。
純粋な「双子」以外でも、鏡像関係にあるアイデンティティという概念としては、例えば「セヴェリアン自身とセヴェリアン少年」の関係も該当するでしょう。またセクラやセアなどの「高貴人とカーイビット」の関係や「セヴェリアンと彼の心の中に存在するようになるセクラの方」、あるいは「本物のセクラとセヴェリアンの中のセクラ」、「生きていた頃のセヴェラやビーキャンと、アルザボの中の記憶」、「テュポーンとピアトン」さらには「独裁者の心の中にある歴代の独裁者の記憶」なども、同様の例と考えられます。
「新しい太陽の書」以外の作品に目を向けると、例えば「ケルベロス第五の首」では「第五号とデイヴィッド」の関係、「第五号と<父>やミスター・ミリオン」の関係、「<東風>と<砂歩き>」、「マーシュとV.R.T.」、さらには「惑星サント・アンヌとサント・クロア」など枚挙に暇がありません。
わたしには二つのことが明らかである。一つは、今のわたしは最初のセヴェリアンではないということである。--「独裁者の城塞」第38章
さらに上記引用部分からは物語の主人公である「セヴェリアン」自体が、確固とした一つの存在ではないことが示唆されます。「新しい太陽の書」の最初の四部作の内容からは、この概念はあまりはっきりしたものではありませんが、第五作 "The Urth of the New Sun" では、セヴェリアン自身が単一の存在でないことが主題となります。また「拷問者の影」冒頭でセヴェリアンが溺れ死にかける場面でも、実はセヴェリアンはここで溺れ死んでいて、その後のセヴェリアンは別の存在だと読めなくもありません。
ところで本項の最初の引用部分からは、最初にアルザボに喰われたのはセヴェラで、次に父親のビーキャンがアルザボの犠牲者になったはずです。ところが以下の引用では順序が逆になっているかのように読めます。
「それで、おまえの妻と息子を、こいつが食うことに同意するつもりか、ビーキャン?」
《そうするように導くつもりだ。いや、導いている。ここにいるわれわれのところに、キャスドーとセヴェリアンも呼びたい。セヴェラを今日呼んだように。火が消えたら、おまえも死ぬ――われわれといっしょになる――彼女らも同様だ》--「警士の剣」第16章
実はこの部分の原文は、"I want Casdoe and Severian to join us here, just as I joined Severa today." なので「おれが今日セヴェラのところに来たように、キャスドーとセヴェリアンもここに来てほしいんだ」とするのが正しいと思います。
もう一つついでに細かいことを言うと、
まさにこのようにして、少年セヴェラはもはや存在しないにもかかわらず、キャスドーの家の屋根裏に登るにはテーブルを動かせばよいと、アルザボに示唆したのであった。--「警士の剣」第27章
この部分も「少年セヴェラ」ではなく「少女セヴェラ」ですね。
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