ultan.net: 登場人物

Last Updated:

05/06/2002




ヴァレリア Valeria

犬のトリスキールを探して<剣舞の塔>の地下牢に入り込んだセヴェリアンが、その先の<時の広間>と呼ばれる場所で出会った美しい娘。ある意味「新しい太陽の書」の登場人物の中で、もっとも謎めいた人物かもしれません。

ところが、そこではなくて、庭の奥の扉の前に、毛皮をまとって立っている若い女が見えた。わたしは彼女に手を振り(寒かったので、急いで)そちらに向かって歩き出した。すると、彼女はわたしのほうに進んできた。そして、われわれは日時計の裏側で出会った。彼女はわたしが何者か、そしてここで何をしているか尋ね、わたしはできるだけ詳しく説明した。毛皮の頭巾に囲まれた彼女の顔だちはこの上もなく美しく、しかもそのコートや毛皮で縁取りされたブーツは、いかにも柔らかく豊かに見えたので、わたしは話をしながら、自分のつぎの当たったシャツやズボンや泥だらけの足がひどく惨めに思えて、気になった。--「拷問者の影」第4章

セヴェリアンの愛した他の女たち、セクラの方やドルカス、あるいはアギアやジョレンタといった女性たちが具体的に、かつきわめて性的に描写されているのに対し、ヴァレリアに対する描写は「もっとも美しい女」という抽象的な言葉だけ、あえて何らかの意図をもって描写することを避けているのではないかと思えます。それでは物語の構造の中でヴァレリアは何を意味しているのでしょう。

わたしは広場を横切って扉のところにいき、それを叩いた。前に給仕をしてくれたあの臆病そうな老女が現われた。わたしは前に暖を取った黴臭い部屋に歩み入り、ヴァレリアを連れてくるようにその女にいった。彼女はあわてて立ち去った。しかし、彼女の姿が視野から消えないうちに、時の流れに擦り切れた壁の中で何かが目覚め、百枚の舌を持つ肉体のない声が、ある古めかしい称号を持つ人物の御前に出るように、ヴァレリアに要求した。わたしはぎょっとして、その人物とは自分のことに違いないと思った。--「独裁者の城塞」第38章

このように「独裁者の城塞」の最終場面は、セヴェリアンがヴァレリアに再会する直前で終わっています。最初のシリーズ四冊のうちでヴァレリアが物語の筋道にかかわってくるのは、この最初と最後の二箇所だけ、実際にヴァレリアが登場するのは最初の場面のたった3ページだけです。にもかかわらず、セヴェリアンの記憶の中ではなぜか特権的な重要な位置を占めており、二度にわたってセヴェリアン自身の言葉でそれが強調されます。一度目は、自らが死から復活させた兵士ミレスと旅する道すがら物言わぬ相手に語りかける言葉です。

「結局、這いだしたのは、<時の広間>という場所の壊れた台座の下だった。そこには日時計がいっぱいあった。そこで一人の若い女に会ったのさ。実際、あんなに綺麗な女には、あれ以来会ったことがない――美しさの種類が違うが、ジョレンタよりも美しかったように思う」

(中略)

「その女の名前はヴァレリアという。ふけて見えたが、おれよりも若かったな。髪の毛は黒くてカールしていて、セクラのようだったが、ヴァレリアは目まで黒かった。セクラの目は菫色なんだ。肌は、見たこともないほどきめ細かく、濃い牛乳に柘榴と苺のジュースを混ぜたような色だった」--「独裁者の城塞」第3章

またマンネアの命を受けて<最後の家>からアッシュ師を連れ出す途中、自らの属する時間線=パラレルワールドから引き離されて、存在が消えつつあるアッシュ師にも同様にセヴェリアンは語りかけます。

とりわけ会いたいのは、ヴァレリアです。わたしが会ったもっとも美しい女性となるとジョレンタでしたが、ヴァレリアの顔を思い出すと、心が引き裂かれそうになります。--「独裁者の城塞」第18章

ミレスとアッシュ師には明らかな共通点があります。ミレスは(セヴェリアンの考えによると)<時の回廊>の彼方に去ったジョナスが、それでもジョレンタのことを忘れられずに戻ってきて、死んだ兵士の肉体を借りて復活したもの、アッシュ師もまた<新しい太陽>のやって来なかった未来からやって来て、ヴィーネという女のことをいとおしく思っています。ならばセヴェリアンにとってのヴァレリアはいったい何を意味するのでしょうか。少なくともセヴェリアンの意識の中で、ヴァレリアは通常の時間の流れからは異なった場所に属するのかもしれません。

ヴァレリアの謎を解く二番目の鍵は、その住まう場所<時の広間>です。

「きみたち、あれをそう呼ぶのかい? <時の広間>と? たぶん、それは日時計があるからだろうな?」

「いいえ、日時計は、その名前にちなんであそこに置かれたのよ」--「拷問者の影」第4章

<時の広間>(The Atrium of Time)という名前は何を意味しているのでしょう。<時の回廊>(The Corridors of Time)が時間線の中を行き来するために用いられる<回廊>ならば、<時の広間>はさまざまな<時>が一箇所に集まる場所、あるいは<時>が停止してしまった場所を意味するのかもしれません。

「<時の広間>では、台座が崩れたために日時計が傾いて、指時針は正しい時刻を示さなくなっている。そういうことが起こると、昼の時刻が停止するか、または、毎日のある部分に時間が逆行するという」--「独裁者の城塞」第3章

これはセヴェリアンがミレスに向けて語る言葉ですが、まさに<時の広間>の性質を表していると見ることができます。またこのことをもともとセヴェリアンに語ったのはヴァレリアその人だと思われます。<時の広間>のヴァレリアの一族にとって「時が停止」してしまっているという仮説は、別の部分からも裏付けられます。

彼女の一族がそれらの塔を占めているのだった。彼らは最初、その時代の独裁者とともにウールスを去る時を待っていた。そのあとも、彼らには待つことしか残っていなかったので、待っていた。彼らの中から、この<城塞>の城主がたくさん出た。しかし、最後の城主は何世代も前に死んでしまった。今は貧しくなり、そして、彼らの塔は廃墟になってしまった。ヴァレリアは下の階から上に登ったことは決してなかった。--「拷問者の影」第4章

普通に解釈すれば、置き去りにされたことによってヴァレリアの一族は、ただ独裁者の帰還を待つ続けるしかなくなり、時代の流れに取り残されたのだと読めます。拷問者組合の<剣舞の塔>と同様に、ヴァレリアの一族の塔もまたそれ自体が宇宙船だったのだと思われますが、ウールスの人々が自らの力で宇宙旅行をしたのは、セヴェリアンの時代から1,000年ほど前のテュポーンの時代まで遡るため、ヴァレリアの一族は少なくともその時代から待ち続けていることになります。ただ、軽く読み飛ばしてしまいそうな次のヴァレリアの言葉はなかなか意味深なものです。

「わたしはわが一族が生み出す姉妹のすべてであり」彼女は答えた。「息子のすべてであるのよ」(原文では "'I am all the sisters we breed,' she answered. 'And all the sons.'"--「拷問者の影」第4章

これは単にヴァレリアが一族の最後の一人であり、一族の記憶を一身に背負っているというという単純な事実を意味するのでしょうか。それにしてはこの象徴的な台詞はいささか唐突すぎるように思えます。考えるまでもなく「新しい太陽の書」の中には「一族のすべてのもの」である登場人物が他にも存在します。歴代のすべての独裁者であるセヴェリアン自身です。代々のヴァレリアの一族が、独裁者と同様の方法でヴァレリアの中に生き、仕えるべき主の帰還を待ちつづけているということはありうるでしょうか。それならばヴァレリアの一族にとり時は停止しており(もちろんもっと時間SF的な意味合いでの時の停止、という解釈もありうると思います)、またそれはセヴェリアン自身の姿とも重なり合うものです。

セヴェリアンがヴァレリアに出会うのは、犬のトリスキールを追って<剣舞の塔>の地下牢からトンネルを通り抜けた後です。後に<城塞>に戻ったセヴェリアンは、飛翔機に乗ってヴァレリアのいる<時の広間>を探しますが、半日飛びまわってもみつけることができませんでした。これは<時の広間>が通常の時空とは別の場所に存在している、ということの例証かもしれません。結局セヴェリアンは昔と同じやり方をとることにします。

わたしは徒弟時代にやったように、ふたたびトリスキールの足跡をつけて、あの忘れられた穴までいき、そこから先は自分自身の足跡をたどって暗い迷路のようなトンネルに入っていった。

今度はランプのしっかりした明かりの中で、前に道に迷った場所を見つけた。トリスキールが脇道にそれたのに、自分はまっすぐに進んでしまったのだった。この時、わたしは自分の足跡ではなくて、彼の足跡をつけていきたい誘惑に駆られた。そうすれば、彼がどこから外に出たかわかるし、また、それによって、彼を手なずけた人物がだれであったか、また、<城塞>の横道で、時々わたしに挨拶をしてから彼がまた帰っていった先の人物がだれであったか、たぶんわかるからである。おそらく、わたしがウールスに帰った時に(本当に帰ってくるとしての話だが)そうすることになるだろう。

しかし、今回もわたしは曲がらなかった。そして "子供・大人" であった過去の自分の後をつけて、床に泥が積もり、塞いだ通風孔や扉がごくまれにある直線の歩廊を進んでいった。わたしが後を追っているセヴェリアンは、かかとが低くなり、底がぼろぼろになった仕立ての悪い靴をはいていた。振り返って、後ろをランプで照らすと、彼を追っているセヴェリアンはすばらしい靴をはいてはいるが、その足取りは不揃いで、爪先をかわるがわる引きずっているのがわかった。片方のセヴェリアンは良い靴を持ち、もう片方のセヴェリアンは良い足を持っているとわたしは思った。--「独裁者の城塞」第38章

トリスキールの通った脇道の先には何があり、トリスキールを手なずけた人物」とはいったい誰なのでしょう。おそらくそちらの脇道の先にはヴァレリアは存在せず、もしもそちらを選んでいたならセヴェリアンの運命も別のものになっていたのかもしれません。そうするとトリスキールを手なずけた人物は、別の時間線に住むセヴェリアンの分身なのかもしれません。

わたしは日時計の土台の穴から誰かがわたしの後をつけてきたようなぼんやりした感じを抱いて、振り返った。--「拷問者の影」第4章

ここでセヴェリアンが感じる気配は、別の時間線に属する自分自身のものでしょう。一方、別の時間線に存在するかもセヴェリアンは必ずしも一人ではないかもしれません。

一つの骸骨を見つけた。その骨は、走っていったセヴェリアンの足で蹴散らされていた。しかし、ただの骸骨にすぎず、何も物語ってはくれなかった。--「独裁者の城塞」第38章

この骸骨もまたセヴェリアンの分身である可能性もあります。別の時間線に属する自分自身に出会う、あるいは自分の死体に出会う、というのは「新しい太陽の書」シリーズ、とりわけ "The Urth of the New Sun" の中で何度も繰り返されるモチーフです。

なおヴァレリアは、"The Urth of the New Sun" の中でも、登場するページ数は少ないものの、重要かつ象徴的な役割をはたします。すなわちヴァレリアはセヴェリアンの手により破壊される<ウールス>そのものなのです。ヴァレリアはまたタロス博士の劇『天地終末と創造』に登場する伯爵夫人カリナであるとも考えられます。

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