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12/22/2002
脳手術を受けて獣となることを自ら選択した人間。スラックスのような<共和国>の周辺部では、土民(オートクトンズ)や刺客(クルテラリアイ)と並んで、現実の脅威となっており、かなりの人数が生息しているものと思われます。
足跡の主は、アブディーススの仮面舞踏会の仮装で見たような獣化人(ゾアントロプ)だった。峠に着くと、キャスドーと老人と少年だけでなく、彼らの姿も見えた。彼らを人間と呼ぶことはできない。だが、このくらい遠くから見ると人間のように見える。九人の裸の人間が、三人のまわりを取り巻いて、背を丸めて飛び跳ねていた。わたしが走っていくと、その一人が棍棒を振り下ろし、老人が倒れるのが見えた。--「警士の剣」第18章
アルザボの脅威を逃れて人里離れた小屋を後にしたキャスドーの一家は、途中一群の獣化人に襲われます。獣化人とアルザボとの戦いの中、キャスドーと老人は殺され、セヴェリアン少年だけが残されます。
「その同じ種類の人々は、きみにものを考えさせる頭の中の小さな部分を取り去ることもできる。もとに戻すことはできないがね。また、たとえ戻すことができるとしても、いったんその部分を取り去ってしまえば、もう戻してくれと頼むことはできない。しかし、時々その部分を取ってくれと頼んで、金を払う人がいるのだ。彼らは考えることを永久にやめたいのさ。そして、しばしば、人類がやったすべてのことに背を向けたいという。だから、もう彼らを人間として扱うことはできない――獣になってしまったんだから。もっとも、形だけはまだ人間だがね。彼らはなぜ服を着ないのかと、きみは尋ねた。彼らはもはや服を理解しない。だから服を着ようとしない。すごく寒く感じてもだ。もっとも、その上に寝たり、くるまったりすることはあるがね」
「おじさんも、ちょっと似ているんじゃない?」少年は尋ねて、わたしの露出した胸を指さした。--「警士の剣」第18章
このように獣化人とは、「人類がやったすべてのことに背を向けたい」がために、おのれの意志で脳手術をおこない、知性を除去した存在です。実際、棍棒を使い、集団で獲物を襲う程度の知性があるわけですから、あるいは人間から言語能力=<言葉>を取り去った存在と言えるかもしれません。このように人間の姿をしながら<言葉>を持たない獣化人は、獣でありながら<言葉>を話すアルザボと鏡像関係にあります。獣化人とアルザボとがキャスドーを巡って争い、それぞれが死に至るのも象徴的です。
サイリアカの語るウールスの歴史によると、人類は一度は<野性的なもの>を捨て去って星々の間の帝国を築いたわけですが、そのやり方が破綻して宇宙に悲惨をもたらしたためにウールスに戻り、<野性的なもの>を再発見した(あるいは<機械>により復讐として与えられた)わけです。このような古い時代の過ちがいまだに人々の間に影を落とし、あるいはその反動として獣化人のような試みがなされたのでしょう。以下の部分では、失敗に終わった数々の試みとして、個人レベルの<言葉>を放棄して共通のテキストだけに頼るアスキア人のことが語られていますが、獣化人になろうとする人々もまた(またひょっとするとアルザボも)失敗した試みの一つなのだと思われます。
<新しい太陽>がくるまでは、われわれは諸悪のうちから選択することしかできない。すべてが試みられ、すべてが失敗に帰した。共通の利益、人民の支配・・・何から何まで。きみは進歩を望むか? アスキア人にはそれがある。彼らはそのために聾者になり、<自然>の死によって発狂し、結局、エレボスやそのほかのものを神として受け入れる寸前にきている。--「独裁者の城塞」第29章
一方<共和国>における宗教では、キリスト教のロゴスと同様、万物は自存神の生み出した<言葉>とみなされます。自らの意志で<言葉>を放棄するのは、万物主の定めた秩序からの逸脱を意味するのかもしれません。前に挙げた引用でセヴェリアン少年が、裸の胸を露出しているセヴェリアンを獣化人と比べていますが、結局セヴェリアンは<新しい太陽>をもたらすウールスに復活をもたらす救世主となるためには、ある意味自存神の秩序から逸脱し、獣化人と同様に大いなる野蛮と破壊をもってするしかなかったわけで、少年の言葉は正しくセヴェリアンの未来を予言したものなのです。
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